投稿

11月, 2017の投稿を表示しています

語学の話 

中央アジア史をやる人間にとって語学は避けては通れない道であり、複数の言語を使いこなす必要がある。これがまたかなりの難関で、頑張って覚えようとした単語も次の日には忘れたり、文法体系も文字も全く違う別の言語をやっているうちにやっぱり忘れてしまう。 学部2年生の時に、 中央アジア史界隈では何かと有名な 杉山正明氏の『遊牧民から見た世界史』を読んで、このような文章に出会った気がする(うろ覚え)のですが、当時は「ふーん、中央アジア史って大変なんだね〜」と他人事のように思っていました。 現在、大学院1年目、語学に関しては上記のような状況にまさに遭遇しています。 さて、僕は今ウズベキスタンはタシュケントの大学で主に語学を学んでおります。ちなみに、僕の所属する大学では、留学生はロシア語とウズベク語の二つが学習可能です。 僕は上記に加えてペルシア語と古テュルク語を、許可をもらって大学で受講しています。 ロシア語は3年生の頃からやっているのですが、なにぶん独学が苦手で、論文の講読しかまともにやってこなかったため、 話す方はからっきしダメ 。 ウズベク語は着いてから始めるという怠惰っぷりを発揮。 そのため、到着後はしばらく日本人の知人に頼るか、タクシーで地図を見せるかという、語学の能力不足によるギリギリサバイバルの状態からのスタートでした。(最近はなんとか慣れてきましたが) ちなみにペルシア語に関していうと、実はロシア語よりも学習期間が長く、学部2年の後半から今まで続けています。ただ、こちらも喋る方は全く練習することなく、やることと言ったら史料を読むだけ、かつ単語を覚えるや語彙を増やすというのも全くしてこなかったので、こちらで授業を受ける機会を頂いたときに、怖気付いて1年生の初級の授業に潜り込むことに。 やはり一年生の授業にしてよかったというべきか、文法事項は一応頭にあるんですが、 説明などはすべてウズベク語で行われる ため、授業中は先生が今教科書のどこを説明しているのかわからない状態が続きます。加えて練習問題で当てられると、今度は ペルシア語をウズベク語に訳させられる という超ハードモード。これで2年生の授業とかだったらさすがにヤバかったです。 さすがにやめようかと思いましたが、ウズベク語でペルシア語をやる利点があり、まだ続けていま

タシュケント生活20日目の雑感

こんにちは、タカクラです。下書きに途中まで書いた文章が残っていたので、せっかくだからアップしておきます。留学から2ヶ月半が経った今、この文章ですら早くも懐かしい気持ちになりますね。 ———————————————————————————————————————— タシュケントに留学して20日が経ち、なんとなく身の回りのことで気づいたことや、思ったことをちょっと書いてみようと思います。 その前に、携帯電話について少し。ウズベキスタン留学にあたり、日本で使っていたスマートフォンを特に解約もせず日本を発ったのですが、どうも日本のスマートフォンというのはSIMカードの利用についてロックがかかっており、一旦解除しないと他のシSIMカードを受け付けないようなのです。これにはどうにも困りました。ともあれ、新しい携帯がないと通話もままならないということで、NOKIAの小さな携帯を購入し、通話に使おうとしていたのですが、これがなんとこちらの携帯会社の一つであるBeelineのSIMカードを使えないことが判明。留学3日目にして早くもBeelineのSIMカードを購入していた僕は、なぜかBeelineだけ使えない携帯を買ってしまったのです。 ここまで読むと、なぜちゃんと下調べしなかったのか、また確認しておくべきだったのではと思われるかもしれません。はい、僕もそう思います。 しかし。ウズベキスタンでは何もかもが想定外ということをひとまず念頭に置いてください。家電を売っている謎の露店街へ連れて行かれ、わけもわからないまま購入したはいいものの、その翌日には一緒に購入した充電器が使えなくなり携帯の充電が切れて連絡も取れなくなるという不運のコンボに見舞われるなど、 いったい何をされているのかわからないポルナレフ状態。 慣れない環境で過ごす疲れから思考力が奪われ、携帯なんかどうでもいいやという気持ちになってしまうのが人間の性というもの。 というわけで、現在Wi-Fiの使えるカフェでこの文章を投稿しているわけです。 さて、本題に入りましょう。 着いてからはまさに怒涛の日々でした。到着後に大学で滞在登録を届け出て、街を見て回り、2日後には授業開始という激烈スケジュール。 着いてから1週間ほどは自分の名前をいうだけで背一杯という情けない語学能力を露呈しながら、他の留学生と