語学の話 

中央アジア史をやる人間にとって語学は避けては通れない道であり、複数の言語を使いこなす必要がある。これがまたかなりの難関で、頑張って覚えようとした単語も次の日には忘れたり、文法体系も文字も全く違う別の言語をやっているうちにやっぱり忘れてしまう。

学部2年生の時に、中央アジア史界隈では何かと有名な杉山正明氏の『遊牧民から見た世界史』を読んで、このような文章に出会った気がする(うろ覚え)のですが、当時は「ふーん、中央アジア史って大変なんだね〜」と他人事のように思っていました。


現在、大学院1年目、語学に関しては上記のような状況にまさに遭遇しています。


さて、僕は今ウズベキスタンはタシュケントの大学で主に語学を学んでおります。ちなみに、僕の所属する大学では、留学生はロシア語とウズベク語の二つが学習可能です。
僕は上記に加えてペルシア語と古テュルク語を、許可をもらって大学で受講しています。

ロシア語は3年生の頃からやっているのですが、なにぶん独学が苦手で、論文の講読しかまともにやってこなかったため、話す方はからっきしダメウズベク語は着いてから始めるという怠惰っぷりを発揮。そのため、到着後はしばらく日本人の知人に頼るか、タクシーで地図を見せるかという、語学の能力不足によるギリギリサバイバルの状態からのスタートでした。(最近はなんとか慣れてきましたが)


ちなみにペルシア語に関していうと、実はロシア語よりも学習期間が長く、学部2年の後半から今まで続けています。ただ、こちらも喋る方は全く練習することなく、やることと言ったら史料を読むだけ、かつ単語を覚えるや語彙を増やすというのも全くしてこなかったので、こちらで授業を受ける機会を頂いたときに、怖気付いて1年生の初級の授業に潜り込むことに。
やはり一年生の授業にしてよかったというべきか、文法事項は一応頭にあるんですが、説明などはすべてウズベク語で行われるため、授業中は先生が今教科書のどこを説明しているのかわからない状態が続きます。加えて練習問題で当てられると、今度はペルシア語をウズベク語に訳させられるという超ハードモード。これで2年生の授業とかだったらさすがにヤバかったです。


さすがにやめようかと思いましたが、ウズベク語でペルシア語をやる利点があり、まだ続けています。
ウズベク語にはペルシア語・アラビア語由来の単語が数多く借用されているのですが、ペルシア語由来の単語がどのようにウズベク語に入っているかがわかり、また訳した時に別のペルシア語由来の単語に置き換わることもあるのがわかるなど、両方の言語の理解に良さそうなのです。
例えば、「翻訳する」はウズベク語ではtarjima qilmoqですが、ペルシア語ではtarjome kardanになります。


少しわかりづらいですが、tarjima とtarjomeは同じアラビア語語根 r j m を持つ単語で、qilmoqとkardanはそれぞれ「する」を表す動詞、英語で言うdoです。つまり、どちらの言語でも、アラビア語由来の同じ語根を持つ単語に「する」という動詞をくっつけているので、ほぼ同じ感覚で捉えることができます。これらは、チャガタイ語の語彙とも共通のものが多くあるみたいなので、今後史料を読む際に大いに役に立つ(てくれるといいな)と思います。



また、古テュルク語の授業も受けているのですが、こちらは完全に史料購読の予備授業といった雰囲気で、やはり先生がウズベク語で古テュルク語の文法の解説を行い、時々例文を課して、辞書も何もない状況でヒントを与えながらウズベク語に訳させるという恐ろしい授業になっています。

ただ、歴史好きの性というべきか、ウズベク語で説明されているにもかかわらず、聞いたことのある歴史的な地名や用語はだいたい分かるため、例えば例文の読解の際は、ウズベク語があまり聞き取れなくてもなんとなく何について話をしているかくらいはわかる、という謎の状況が発生しています。そしてロシア語、ウズベク語、ペルシア語よりも圧倒的に史料の解説と歴史的な事象の説明を行ってくれるこの授業が最も楽しいのです。現代に生きたくない



今は天山ウイグル期のテュルク語を読まされているとのことだったのですが、アラビア語が入る前の時期とはいえ、年代記で読んだことのある表現がテュルク語語彙に置き換わっているだけじゃねーかとツッコミたくなる文章が満載で、よくわからんけどわかる!みたいになっています。


古代テュルク人の方角と色の観念についても面白い話を聞いたので、裏が取れたらその話をしてみようかなと思います。



もともと語学は独学でやるのが苦手で、人に尻を叩かれないと進められないという怠慢な性格な上、一度に3つも4つもすることになってしまい、大変辛い思いをすることになりました。というかなっています。僕にペルシア語を教えた師匠は、聞くところによると学部時代からペルシア語とチャガタイ語をものにしていたそうで、現在はロシア語とウズベク語を流暢に操り、アラビア語の読解も当然のようにやってのけるという超ハイスペック人間だったので、彼から尻をぶっ叩かれながらペルシア語をやっていた次第です。ただやはりこの凡人めにはチャガタイ語を独学でやる余裕もなく、なんとなく時間を取れず今まで引き伸ばしてしまっていました。この留学中に火中に栗を拾うじゃないですが、とにかく身体がボロボロになるまで語学にしがみついてみようと考えています。ぶっちゃけ語学学習は辛いことの方が多く、ウズベク人の知り合いには語学は喋ることが最終目的なんだからもっと人としゃべれとしつこくハラスメントを受けたり、周りの友人は日本でもちゃんと語学を修めてきて、着いてからも割とすぐ話せるようになっているのに対して自分はまだまだ会話ができない、という状況に苛立ちが募ることも多々あります。しかし、最終的には史料を読むのだ、論文を読むだけの力を身につけるのだと思い込むことでなんとか正気を保っています。負けない。



ちなみに古テュルク語は個人的に美しい響きと甘美な表現の豊かさに惚れてしまったため、このまま天山ウイグル語とかをやりながら滅んでもいいかもしれないという気持ちになりました。いやだめだ、俺にはチャガタイ語ちゃんがいるのだ。



というわけで、ペルシア語とチャガタイ語とロシア語とウズベク語、全部どうにかこうにかできるようになったら、ペルシア語の師匠が学部時代には立っていたであろうスタートラインに初めて立てることになるので、焦りに背中をジリジリ焦がされつつも、頑張っていきたいと思います。




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