マクニール『疫病と世界史』の雑感

「死の舞踏」(作者不詳、16世紀ドイツ。)
(https://www.metmuseum.org/art/collection/search/334871?ft=dance+of+death&offset=0&rpp=40&pos=5)


少し前に関心を抱いて読んでいたのですが、マクニール2007『疫病と世界史』上下(中公文庫)はかなり刺激的な著作です。

上巻:マクニール2007『疫病と世界史』上(中公文庫)

下巻:マクニール2007『疫病と世界史』下(中公文庫)

マクニールは個人的に結構好きな歴史家で、これまでに『世界史』や『戦争の世界史』、『ヴェネツィア』などを読んでおり、読むたびに色々と示唆を受けた気がします。

まだ読んでいないのですが、学生時代に指導教員に勧められたEurope's Steppe Frontier, 1500-1800.も早いところ読みたい、ないし概要だけでも把握したい。


マクニールの得意技(長所)は、世界史レベルで枠組みを問い直すような大きな話をするところで、もっと言うと大風呂敷を広げてそれを(ある種無責任に)世の研究者たちにぶん投げるところではないかと思います。ただ、彼の大風呂敷はそのまま短所にもなりうるというか、あまりにも大雑把かつ大胆に仮説を立てるので、「どうやって論証すんのこれ」と呆れそうになるもしばしば。

しかしながら、細部への理解に大きな差があったり最新の研究へのアクセスが足りなかったりしたとしても、誰かしらが世界中の事例をかき集めては人類史規模の大きな仮説を立てていく必要があるのだろうなと思います。

彼の仕事は、個別具体的な批判や検証はもちろんのこと、そうした作業の先にある大筋の議論の妥当性の検証とセットにすることで、大きな意義を持つものでしょう。


マクニールの「マクロ寄生」/「ミクロ寄生」の議論

「マクロ寄生」と「ミクロ寄生」

さて、マクニールはこの『疫病と世界史』の中で様々な概念を用いて、疫病と人類との関係や、人間同士、共同体間の関係性の中での疫病の立ち位置を説明しています。その最たるものが「マクロ寄生」と「ミクロ寄生」です。かれは、ウイルスや細菌が人間を宿主として生存したり住処を移動したりする現象(=感染)を「ミクロ寄生」と定義し、それと対となる概念として、人類が人類を武力や経済力、権力で隷属させたり、その生産物を徴収して糧とすることを「マクロ寄生」と呼びます。

感染というミクロレベルの生理学的事象と、人類の支配・被支配という社会的事象を同じ土俵(?)に置くこの発想はなかなか新鮮に感じました。

人類史を紐解くと、まずもって人はマクロ寄生により単純な食糧生産以外の活動に従事できるようになったのだといいます。支配・被支配の関係というと非対称なイメージですが、余剰生産物を様々な(しばしば暴力的な)方法で収集・分配することによって、生産以外の活動を行う状況が生まれたということですね。

さらに、疫病の伝播と定着の過程についても、人類集団が病原菌と触れあう際には、初めは成人男性の大部分の死滅という共同体への大きなダメージが起き、続く共同体の再生産と一定期間を経た感染を繰り返す中で徐々に共同体の全員が耐性を獲得し、最終的にその感染症が小児病として集団の中にプールされるようになるとしています。

つまりは、長期にわたる接触により共同体規模で耐性を獲得することにより、病原菌に初めて触れるものが生まれた直後の子どもだけになり、被害が軽減されること、また、病原菌が人体で長期にわたり生存し、かつ宿主の生体活動を止めないように弱毒化するなど、病原菌が共同体との共生関係を築くような状況が生まれるわけです。

ここで重要なのが、人類がマクロ寄生によって食糧生産者以上の人口を養えるようになり、その結果として都市が発生すると、人口密集地帯である都市において、病原菌がもともとの保菌者であるネズミやノミなどの生物に依存せずとも、人間の間の感染だけで生存できるようになることです。マクニールは、この結果として、都市は人間以外に媒介となる生物を持たずとも病原菌がプールされる場となると述べています。


「マクロ寄生」の拡大

また、上記のように病原菌をプールしている都市を中心とする勢力は、周辺の人口希薄な地域に対し軍事力以外での優位を獲得するとしています。

というのは、都市を中心とする勢力が周辺地域に対して軍事行動を起こした場合、人口希薄で病原菌への耐性が比較的少ない周辺地域の住民は、軍隊による略奪よりもその後の疫病の流行によってより大きな被害を受けただろうとのこと。この結果、弱体化した周辺地域を、都市を中心とする勢力が併呑することが容易になるというのです。

マクニールは、この議論からさらに飛躍して、人口密集地域の勢力が周辺地域を併呑する際、軍事力だけでなく、疫病による被害、特に共同体の維持の主力である成人男性の大量死が、そうした侵略を被った地域の抵抗力を徹底的に削ぐこと、さらに(特に人口希薄な共同体で)素朴な信仰に生きる人々の場合には、自分たちの信仰する神が彼らを救わず、反対に外からやってきた征服者たちが信じているより強大な神や超自然的な存在が、征服者の味方をしているように見えただろうとも述べています。

その証拠として提示するのが、スペインやポルトガルによる南北アメリカ大陸の征服であり、彼らが少数の軍隊で無数のアメリカ先住民を圧倒し得た理由は、馬や鉄や銃といった未知のテクノロジーよりも、こうした疫病という見えない恐怖に対する彼我に存在する(ように見える)神の加護の差であったとも述べています。


雑感:諫早庸一氏の論考も面白いよ

ここまでくるとかなりの飛躍や文献資料からは読み取れない仮説が出てきてかなりぶっ飛んだ印象を受けますが、とにかくこうしたぶっ飛びにある程度目を瞑りつつ読むと、なかなか興味深い議論だと思います。

まだ消化し切れていないのですが、マクニールの議論やその後の研究史の蓄積を提示しつつ、環境と人との関わりを論じたり先行研究を評したりしている諫早庸一氏の論考も非常に面白いので、ぜひご一読あれ。


以下にリンク等を置いておきます。


https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/111314/3543c845fb9aeb35b4650d32cc0cca26?frame_id=644859

・Campbell, The Great Transition. の感想をresearchmapに載せているもの(研究ブログ)。

ちなみにまだ未読ですが、このGreat Transitionという著書は「14世紀の危機」という複合的な事象をアフロ・ユーラシア規模で考える作品で、Great Transition「大遷移」というタイトルからも分かるように、ポメランツのGreat Divergence「大分岐」が念頭に置かれているものですね。くわしくはWebで。


https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=21590&item_no=1&page_id=13&block_id=49

・「ユーラシアから考える〈一四世紀の危機〉」(<特集>一四世紀の危機 : 研究の現在)

《機関リポジトリでpdfあり》史苑の特集記事の一部で、ユーラシア規模で環境史を捉える際の先行研究として、遊牧民の帝国と環境との関わりを論じたNicola Di Cosmoの論考をまとめて要約し、かつ評していて、涙が出るほどありがたい著作です。同じく上述のCampbellのGreat Transitionの感染症にかかる議論についても言及があります。


http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3414

「一三─一四世紀アフロ・ユーラシアにおけるペストの道『現代思想 2020年5月号 緊急特集=感染/パンデミック ―新型コロナウイルスから考える―』青土社、2020年、137-144頁。

新型コロナウイルスのパンデミックが始まったころに組まれた緊急特集の記事。マクニールの議論とその後のペストの発生源に関する議論がまとめられていて、興味深く読んだ思い出。Great Transitionへの言及もたしかあったはず。

以下はまだ読んでいないので早く読みたい

http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3682

「キエフとモスクワのあいだ——前期代アフロ・ユーラシア史からの視界」『現代思想2022年6月臨時増刊号 総特集=ウクライナから問う』、青土社、2022年、262-270頁。

以上。




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